昭和40年12月15日 朝の御理解



 信心の稽古に皆さん、此処に通うてお見えられます。本当に信心の稽古に通うておるという、内容を持ってお参りなさる様になったら、信心が楽しみになる、今日はとう云う事を教えて頂くだろうか言うこと、そしてそれを行じていく稽古させて頂くことが、段々身についてくる楽しみが出けて来る。本当に、この信心を、本気で稽古しておる人達にですね。どんなにそれは、かんで含める様な、御理解を頂きましても、やはり分らんところがあるはずです。 
 又、それを行じてみたら尚解らん所があるはずです。ですからそこんところは、分らん所は分らんところを、やはりお訪ねをする、質問をする又そこんところをいよいよ練ってみるという様な私はことにならなければ、私は信心の稽古にはならないと思うですよね。ここんところをひとつ本気で、私は稽古しなければいけないと思うですね。もう自分なそげなもん稽古はでけんというたら、もうお仕舞いです。
 昨日御祈念の方達がひときりついた頃、何時も田主丸の小野先生がお参りしてみえます。色んな意味での一つの難儀ですね、又は行き詰まり的な心がどうも暗くなるといったような意味の事のお届けをされました時に頂きますのに私、小城羊羹を頂くのですよね。佐賀の小城羊羹というほんがありますよ、確かにその小野先生の内容は小城羊羹的な、甘いムードといった様なものを備えておる持っておるわけです。
 非常に純真なんですね、あれだけ、いわばまあ最高の学問を身に付けて、そして、一角の病院の院長としてからたっておられる方ですから、色んな意味でその教養も知的な生活をしておられるわけです。それでいてですね、非常にこう純真な処があるんですね、それで私その先生貴方はね、小城と言うのは小さい城と書いてあるだからだから小さい。現在の城に城主で止まっておるならそけでいいけど。
 あんたが大きな城を願われるならばね、今のあなたの、信心にかけておる此というものを、ひとつ探求し分からしてもろうて、そこんところをしっかり稽古なさいと私が申しました。それでね、今、あなたに一番欠けておるものは、あなたが持っておるものは、小城羊羹的なムードを持っておる、内容を持っておるのであるから、これにどうでしょうね、なしにはこれに付き物であるところの。
 ひとつ玉露の信心を頂きなさいと、私が申しました。皆さんもご承知でしょうけれども、非常に慌てもんなんですよね先生、慌てもんというが、もうせかせか、せかせか何時っもしてるんです。今患者も少ない、病院も無い入院患者も少なくて、その通うてくる人達も少ない、だからもうその遊びに行けば、何処にでも遊びに行けるくらいに、ゆっくりあるのですから。
 椛目に来たときぐらい、ゆっくり御祈念でもするとか、御理解でも頂いて帰るとか、又はお届けでも、あの人が参られるのはね、皆んなの、お届けの済んだ頃参られる。待っとかにゃんとがせわらしいんですね、それで、何かお届けでもあっとると、スーッと来といてから、もう座りもせんどいてから、つま立ったまま、お届けして帰られると言った様な性格なんですね。
 これではもう本当にやはり、いわゆるこれが一番、欠けておると言う事であるということ、ゆとりがない、皆さんもご承知の様に玉露を入れるときには、一遍たぎるお湯を沸かしといて、それをある程度の所まで冷ます。それからお湯をささしてもらう。それから又しとせんそのお茶の出るまで、しかも最後の一滴が玉露と言われております。もう、そんくらいでよかち言うごたるけれども、最後の一滴そこに何とも言えん。
 又、お茶をする者の楽しみもあるわけなんですけどね。そういう雰囲気が欠けとる、そういうものが性格から欠けとる。だからそこんところをです、お茶の好きな人なんかだったら、そう言う事はそれがたのしみでもあれば、又好んですることなんですけども、小野先生にしては、それが大変な至難な事であると言う事なんです。ハアーそれが自分にも分かっとるとですけどもね。
 そのそげな気分にならないてこういう、なれないと言うて、なら今の小城羊羹でよかか、小野病院でよかか、大野病院にならにゃいくまいが、いわゆる、小野が大きい、小城が大きい城に、ならなければいくまいが、そこの城主を願っとるじゃろうが、そんなら、自分の欠げておる、そこんところを精進さして頂く、自分のものに、していくと言うことがおかげじゃないか。
 これは、私の性分じゃけん、成程その環境というものは、その人の性格を作り替える。又は、生まれつきと云った様な場合もある、さあどちらに致しましても、そこを信心の道によってですそれを修錬さしてもらい、稽古さしてもらう。それで私が申しました、私の知っておる昔、芸子さんの中にですね、もう私はもう芸者になってから三味線を弾かなきゃならんとが稽古せんならんとが、泣こうごつじゅつなかった。
 嫌いで嫌いでたまらじゃた。好きで稽古する人なんかは少し叩かれたって、その叩かれる様な事じゃなか覚えていくことの楽しい、ところがもう嫌で嫌でたまらじゃった。それが、いわば叩かれながらでも、どうでもそれを稽古せなければならんから、稽古させて頂いてから名取までなって、所が今私から三味線を取り上げるというなら、命を取り上げられるのと同じ事と言われるくらいに、好きな事になっておる様にです。
 もうそげな難しか稽古は、とても私ゃ嫌と けれども是が、真実幸せになる事のためにですから、本当のおかげを、頂いていくことのため、本当の徳を、受けていくことのためにお互い、稽古に来ておるのですから、そこを面倒がったり、うるさがったりしてはならん。そこんところを、実意をもって、稽古さして頂くという、私は姿勢がですね必要でないかとこう思うです。
 ですから本気でそこにならせて頂く時に、あぁあの人は信心される様になったら、二人見るごとならしゃったというのがそれなんです。皆さんどうでしょうか。昨日、熊本からの弘子さんが、お礼に出てまいりました。ご信者さんとご一緒にもう本当に私はあの人が来ると、本当チットした楽しみを感じるのですけどもね、それこそね質問なんか確信にふれてくるです。何時の場合でもそれが好きなんです。楽しみなんですね。
 ですからそりゃもう聞いておってからそうじゃんね、そうじゃんね、私が合点するごたることをいうですね。色々申しております中にですね、先日神様から頂いたこと中に、一心神徳と真心神徳とがあると神様が仰った。一心の神徳と真心神徳というのがある。一心神徳とはどういう信心でしょうか、真心神徳とはどう云う様な神徳でしょうか、信心でしょうかと、こういうわけなんですね。
 皆さんどんなに感じられますか、もう本当にね、私は、私はですね皆さんそういうことを、聞いてもらいたいと思うんです。ね 椛目でそういう質問を出す人は先ず無かろうと思います。先日、ヤヒメという教会の先生が参ってみえられました。皆さんはご承知ではございますまいけれども、以前、三代金光様が副館長でおありになった時代です。当時、金光家では色んな問題がございました。
 その当時金光家のお家騒動と云うてまあ、新聞を賑わした時代がありますよね、その金光家邦という方が当時館長であった。私始めて聞かして頂いたんですけれども、やはりこの方も大変な神徳家だったらしいですね。やはり全教の大半の信用を持っておられた。いわゆる金光様派、家邦様派という風に派が別れて大変な問題が起こったんです。そういう時代の時に、丁度私は学院で修行中でございました。
 これはもう、自分で言われるんですね、体格がよくて男振りがようて信心が出け無ければそれが許されない。御大祭の時等はこうずうっと以前は今の様な、祭場がございませんでしたから祭場に向かわれる間、大きなこう傘がありますよね大きな、善導寺の開山忌なんかの時には使いますよ大きな赤の傘、平安朝時代に使ったあれですよね。あの傘をその家邦様がお通りになる時に、横からこう持って行かなければいかない。
 冠をこう被っておられるですから、冠に触れない様にするためには、これだけ大きなからにゃいかん。同時に館長様のお側に居るのですけん、やはり近衛兵の様なものですたい。その風もようなからにゃいけん、信心も出けとらにゃならん、それで自分は何時もそれに何時も選ばれておったという話をなさったんですけれどもね。時に、その金光家邦様のお話を聞かせて頂いたんですが、非常にやはりお徳の高かったそうですね。
 けれども、今の今ではない、三代金光様とは全然違ったご神徳家であったということです。当時から金光様は、やはりお参りをしてくる氏子の取次を、どういう難儀な問題でもハイハイでお受けになられたそうです。ところが家邦様は御理解はなされるけれどもですね。たとえば難儀な問題を皆が持っていきますとですね。お前のめぐりは俺がかろうてやろう、おかげになるぞと仰る様なタイプの方だったらしいですね。
 お前の難儀のもとであるところの巡りを引っかろうてやろうと、おかげになるぞと、それでおかげを受けたそうです。まあそういうふうに申しますと、一心神徳と真心神徳というのは分かってくるでしょうが、そしてその一心神徳というものは、或る意味合いにおいては一代限りのようなものだということです。私共の知っておる御神徳家と言われる大変な先生方がおられます。
 もう本当に、沢山おられますけれども、確かに一心一心神徳の傾向の強いところの教会では、二代三代になってご比礼がおちる様ですね。ところが真心神徳ということの方の稽古のところは、それが続いておる様です。真心神徳と言うのは、いうなら、私は三代金光様の様な在り方だとこう思うのですね、あの金光様の御述懐のお言葉にある様に、ね ありがとうて、ありがとうてという気持ちが開けておいでられる。
 それでいてお詫びばっかりしていますと仰る。あの気持ち、あの境地なんです。ね。御理解百節の祝い目出度の若松様よという、あの御理解ね最後のところの、『この方は、家繁盛子孫繁盛の道を教えるのじゃと仰る』本当に家繁盛 子孫繁盛の道を体得させてもらうということ、それは丁度、信心とは山登りの様なもの、一段一段梯子を登っていく様なもので、行くものであり、同時に自分の心が神に向こうていくということが信心だというのが、教祖の私は御信心だとこう思うのです。
 子孫繁盛の道というものを体得せずに、只一心に一心不乱に拝むとか、一生懸命お参りをするとか、成程それでおかげにもなり、又はこうずれば徳になるかもしれんけれどもです。それではたいしたそれも必要だ。けれどもやはり信心の稽古に通うて来なければ行けないと云うことが分かるでしょうが、信心の稽古に通うてくればです。子孫繁盛の道も日々説いて下さるのであり。
 家繁盛の道を日々説いて下さるのであり、日々ありがと成らせて頂くためには、又、自分自身というものをいよいよ掘り下げて頂くところからです、相済まん私というものを分からして頂くところの道を教えて下さるのですよ。金光家邦様と三代金光様の信心を例をもって申しましたがです。現金光様のお父様に当たられる御方ですが、金光家がやはり教祖の神様の時代よりも四神様、四神様の時代より三代様。
 いよいよ完璧の、金光教が樹立される。そして、それが四代様に、継承されておいでられるという、あの金光教の姿を、見れば分かるでしょう、真心一心の信心、真心神徳というものでなからなければならん、又は、真心でもって頂くところの、おかげで慣からにゃ慣らん。一心に拝んで拝み貫いて、一生懸命に参って縋って、願っておかげを受けたというのではなくてです。
 勿論縋ることも願うことも良かろうけれども、自分の心に焦点をおいて、いうなら小野先生のそれでは無いけれども、お互いが小城羊羹的なものを持っておるならば、ここに嫌でも玉露的なおかげを頂くためにです、最後のいわゆる玉露といわれる、その一滴を味わいを分からして頂く稽古をです、していかなければならん。そりゃとても私ゃあげな、あげな面倒くさいことは出けん、もう最後の冷めるまで待つだけでも待れない。
 たった、そしてこんなちょっとばっかりのお茶を飲むとに、そげん時間かけちから、そげなこたでけんと言わずにです。そこんところを稽古さして頂くうちに嫌でたまらなかった三味線がです、その人の命になったという、その芸子さんの話の様にです。そこを私はうまず弛まず稽古していくと言うことが信心じゃないかとこう思うのです。ね、そこが実意をもってその稽古がなさけていくことがです。
 真心神徳であり、その真心を持って頂いて自分が段々完成、完成していく真の人間にならせて頂くことによってです。おかげが段々あかぬけしてくる、そのおかげが段々おお徳というところまで、進んでいくようなおかげを頂かせてもろうて始めてです、子孫繁盛の道というのがついてくるとこう思うのです。家のお父さんは、そりゃもう偉い御祈念力を持った人だった。
 家のお父さんから御祈念してもらうとたちどころに、色々おかげを受けたという、これも、それは大事かも知れません。又御祈念力がありがたいのですけれども、と同時に、椛目はそういう意味合いで、その両方を私が皆さんにお伝えしとる様におもうですね。それはもう、本当にそれは程度の低いところではありますけれどもね。本気で限りなく美しくならせて頂こうじゃないですかと、いうのは真心神徳を頂いていけれる。
 私は第一の願いでなからにゃならんとこう思うのです。御祈念をさして頂く時にです、居眠りがつく様な御祈念じゃつまらん、汽車のいわば軌道の中で祈念でもしとるごたる気持ちで御祈念をしなさいというのは、やはり一心の祈りと言うものが神様を動かす。そういう、貫く様な御祈念でなからにゃならないといった様なことを申しておる様な分けなんです私は、だから、そこんところを皆さんは稽古させて頂く。稽古させて頂きよれば、必ず分らんところが出けて来る。
 出けて来たらそこんところを、又お尋ねをしたり、お伺いをしたり、自分の心で練っていくという様なおかげを頂いてこそです。信心の楽しみということになってくるのじゃないでしょうかねえ。お互い信心の稽古に通うて来ておる、果たして私ゃどげな稽古をしよるじゃろうか、只御理解を頂くことだけが稽古ではありません。椛目に参って来ることだけが稽古ではありません。
   どうぞ。